★当日資料
★報告
10月27日、素人の乱12号店で検証・日本のメディアアクテイビズム第3回「市民メディアの勃興、挫折、現在」が開催された。当初、報告者として市民メディアアドバイザーの下村健一さんを予定していたが、内閣審議官に就任し多忙を極めているため、急遽ピンチヒッターとしてフリーライターの岩本太郎さんに報告・司会をお願いした。岩本さんはこの7年ほど全国各地の市民メディアを取材されている。
まず問題提起として、なぜ市民メディアは根付かないのか、という問いが投げかけられた。
報告者の白石草さん(OurPlanetTV)は、今日の会のために市民メディアの簡単なチャート図を作成。メディアアクティビズムとは、社会を変えていくメディア、あるいはメディアの構造自体を変えていくメディアと言えるのではないか、と定義した上で各々の市民メディアにはスタンスの違いがあるのではないか、と述べた。
続いて、映像でいくつかの市民メディアを紹介。
大きな特徴としては、マスメディアでは取り上げられない話題が扱われていることがうかがえる。各々の市民メディアが点在し、横のつながりが希薄だったが、市民メディア全国協議会が発足し2004年からは毎年市民メディア全国交流集会(通称:メディフェス)が開催されている。
一方で、消滅した市民メディアも多く、それはなぜだろうかと白石さんが問いかけた。
それに対して、岩本さんは組織をまとめるオルガナイザーがいる所は長続きしている、と答えた。続いて話は、白石さんらが2001年に立ち上げた、OurPlanetTVの具体的な話へ。白石さんはマスメディアから独立してインターネット放送局OurPlanetTVを作ったが、当初のイメージはビデオジャーナリストが作品を発表する場を想定していた。しかし、いわゆるプロではない市民の方々からビデオの製作方法を教えてほしいという相談を多数受ける中で、徐々に市民メディアの重要性に気付いて行ったそうだ。 同時に、インターネットで放送できるならそれで十分ではないかと思っていたが、海外のオルタナティブメディアの活動を知るなかで、発表の場を拡張する動きをしなければならないことにも気付いたという。
続いて、横浜のポートサイドステーションの和田昌樹さんにも加わっていただいた。
ポートサイドステーションは当初FM放送局を作ろうとしていたが、横浜の特殊な電波事情から難しいことが分かり、インターネット放送局にシフトした。横浜にはいくつものインターネット放送局があり、その横のつながりを総称して横浜市民放送局、としている。和田さんはボランティアで市民メディアに関わることの限界を指摘。同時に、運営のために助成金をもらうことからおこる内紛など生々しい話もされた。そこで、市民メディアであっても独自に財源を作っていく必要も述べられた。横浜市では11月から開催されるAPEC(アジア太平洋経済協力)に向けて警備が強化されているが、横浜市民放送局ではAPECに批判的な放送も行っており、行政との距離感の大切さも語られた。
ちなみに、横浜市民放送局ではAPECに合わせて、NO APECという趣旨のもと、48時間テレビを放送する準備を進めているそうだ。
続いて、白石さんはOurPlanetTVの運営形態を紹介。
その後、和田さんは多彩な人材が市民メディアに関わることで起こる人間関係の難しさも紹介された。
休憩後、オーマイニュースはなぜ日本でうまくいかなかったのか、という話題に。白石さんはオーマイニュースの運営にも関わっていた立場から問題点を指摘。一つは、組織形態が古く、既存のメディアの形態を踏襲していた点。もう一点は目的意識が曖昧なうえにヘッドハンティングで人材を集めた点。そこで白石さんが感じたのは、多くの市民メディアはやりたい人が集い、目的意識がはっきりしている場合は長続きする、ということだった。
一方で、岩本さんはオーマイニュースの失敗をもって活字系の市民メディアが根付かないことにはならないだろうと述べ、和田さんはご自身がかつて1969年に創刊された「週刊アンポ」の編集に関わっていた経験を語られた。また、和田さんは市民メディアとしては下から積み上げていくような形が理想で、マスコミが拾い上げない声を伝えていくことの大切さを述べられた。
質疑応答では、下村さんが内閣審議官になったことについてどう思うか、という質問が。そこで下村さんから届いたメッセージが読み上げられ、下村さんに期待することも議論になった。
続いて、インターネットの発達で世界中に情報が発信できることが強調されたが、一方で地域をつなぐメディアとしての役割も重要になっているのではないか、ということも語られた。また、ネット上のバーチャルな関係だけではなく、生で接することの重要性も語られた。
最後に、白石さんは市民メディアの中にも政治的な話題を忌避する傾向を感じていて、もう少し横のつながりがあってもいいのではないか、と語られた。(映像作家、VIDEO ACT!スタッフ:本田孝義)